おおむね備忘録

個人的に後で見返したいような内容を書きとどめておきます

悲しい記憶が交差する一日

今日ニュースでずっと頭をよぎっていたのは、もちろん爺さん新党などではなく。
巨人の木村拓也コーチの逝去だった。
指導者1年目、シーズン開始直後の悲劇。
それだけではなく、37歳でくも膜下出血というキーワード。
これが私の悲しい記憶につながった。

※ちょっと重い内容なので、読みたくない方はスルーお願いします。
私の最初の会社で、お世話になった先輩。
配属になったグループのリーダーだった。
親分肌で、誰からも慕われていた。
とくに後輩から。


仕事柄、若い時期は残業が多く、休日出勤も多かった。
たまの休日出勤、出社すると、その先輩はいつもいた。


こんなやりとりをしたことを覚えている。
「休日出勤なんかしちゃだめだよ〜」
「先輩いつもいるじゃないですか。」
「いやいや、そうでもないよ」
照れくさそうに笑っていた。


ある月曜日、会社に出社すると、その先輩はいなかった。


夕方頃、メンバーが集められ、上司から
「悲しいお知らせがあります。」
先輩は土曜日に倒れ、つい先ほど亡くなったらしい。
くも膜下出血、まだ35歳だった。
くも膜下出血の恐ろしさは知っていたが、中高年の病気だと思っていた。


その日は正直よくわからなかった。
受け入れられなかった。


告別式の日、若手の私は参列者の誘導をしていた。
告別式に参列し、読経が始まる。
見たことのある同僚の女性が泣きじゃくっていた。
私は知らなかったが、先輩の彼女だったそうで、両親公認の仲。
近々結婚予定だったという。


棺に入った先輩の姿を見た。
考えてみれば物心つかない小さい頃に祖父が亡くなって以来、身近で亡くなった人はいなかった。
親しい人の亡骸を見たのは初めての感覚だった。


いつも笑っていた先輩が、苦悶の表情をしていた。


それまで何とかこらえていたが、どっと涙があふれた。
その後、同僚や上司から声をかけられたが、圧倒的に悲しくてまともに返事できなかった。


その後、転職もしていろんな人に出会った。
正直思い出せない人もいる。
でも亡くなった先輩の笑顔は折に触れ思い出す。


木村コーチも親分肌で慕われていたそうだ。
すばらしい指導者になることが想像できただけに、本当に悲しい。
ご冥福をお祈りします。